大阪らしさとは何か。
そう聞かれると、たいていの大阪人は少し黙る。
説明しようとした瞬間に、
それはもう大阪らしくなくなる気がするからだ。
派手で、うるさくて、ノリが良い。
たしかに、そういう面もある。
でもそれは「結果」であって、「目的」ではない。
大阪らしさは、
自分たちで名乗るものではなく、
気づいたらそこにあるものやと思っている。
横でAIが言う。
「文化は、定義された瞬間から固定化されます」
なるほどな、と思った。
大阪らしさも同じで、
説明された途端に、観光用になる。
キャッチコピーになり、記号になる。
そして、街から少し距離ができる。
だから今の大阪人は、あまり語らない。
大阪弁も前に出さない。
わざわざ「大阪やで」と言わない。
グリコの看板みたいに、
ただそこにあって、
見たい人だけが見ればいい。
そういえばグリコの看板の位置が変わっていました
説明されないからこそ、残っている。
言語化されないからこそ、続いている。
大阪らしさは、たぶんそういう性質をしている。
もし誰かが
「大阪ってどんな街?」と聞いてきたら、
正解は説明することじゃない。
一緒に歩くこと。
それだけで、十分伝わる。
次にミナミへ行ったとき、
また何かが少し変わっているかもしれない。
でも、説明できない何かは、
たぶん今日と同じ場所にある。
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